山口地方裁判所 昭和45年(わ)242号 判決 1980年11月14日
裁判所書記官
内藤哲男
本店所在地
山口県下関市みもすそ川町二番九号
株式会社山陽ホテル
右代表者代表取締役
福田浩
本籍
山口県防府市浜方一〇一三番地
住居
山口県下関市上田中町一丁目一三番一六号
会社役員
福田浩
明治四四年六月二〇日生
右両名に対する各法人税法違反被告事件につき、当裁判所は検察官上野富司出席のうえ審理を終え、次のとおり判決する。
主文
被告会社を罰金二五万円に、被告人福田浩を罰金七万円に、それぞれ処する。
被告人福田浩においてその罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。
訴訟費用はその三分の一を被告会社及び被告人福田浩の連帯負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告会社は、山口県下関市みもすそ川町二番九号に本店を置き、ホテル経営等を営業目的とする資本金一、〇〇〇万円の株式会社であり、被告人福田浩は、被告会社の代表取締役として同会社の業務全般を統括していたものであるが、被告人福田浩は、被告会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、昭和四二年一月一日から同年一二月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が三三二万八、一三六円(別表一修正貸借対照表のとおり)で、これに対する法人税額が八五万九、二〇〇円(税額の算定は別表二の税額計算書のとおり)であるのに、売上の一部を除外して簿外預金を蓄積する等の不正な方法により所得を秘匿したうえ、昭和四三年二月二九日、所轄下関税務署において、同署長に対し、所得金額が三五九万三、六七八円の欠損であって納付すべき法人税額がない旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって同会社の右事業年度の正規の法人税額八五万九、二〇〇円を免れたものである。
(証拠の標目)
一 被告人の
1 当公判廷における供述
2 第一回、第三回、第四六ないし第四九回、第五二回公判調書中の各供述部分
3 検察官に対する供述調書五通
4 大蔵事務官に対する質問顛末書三通
一 各下記公判調書中、証人和田潔、同植田松廣(以上第四回)、同樋口和雄(第五ないし第七回、第二三回、第三二回)、同吉田恵亮(第八回)、同石田修一、同岡部光昭(以上第九回)、同小川芳雄(第一〇回、第一一回)、同帯刀孝繹(第一一回)、同月幸也、同古谷修作(以上第一二回)、同堀川薫(第一三回)、同山下義雄(第一四回)、同岡田健作(第一五回)、同河村百江(第一六回)、同松岡倫子(第一七ないし第一九回、第二一回)、同冨田邦泰(第二三回)、同福田浩一(第二七回、第二八回)、同門馬佐久(第三二回)、同福田清(第三三回、第三五回)、同安藤宏(第四四回)の各供述部分
一 山平邦夫、福田清、福田浩一、福田スエノ、山平勇、松岡倫子(八通)の検察官に対する各供述調書
一 山平節子、山平邦夫、福田清(二通)、飯沢清治、福田浩一(二通)、冨山省二(昭和四四年六月一三日付)、福田スエノ、門馬佐久(二通)、山平勇の大蔵事務官に対する各質問顛末書
一 道本春人(検察官請求番号一四二)、枡田某(同一四三)、佐々木某及び坂口某(同二〇六)、広武某(同二〇七)、蔵田某及び北條某(同二〇八)の各作成にかかる各調査事績報告書
一 道本春人作成の山陽ホテル裏預金についての調査報告書(検察官請求番号二〇五)
一 北村寛治、山本哲正、冨田邦保各作成の各証明書
一 片山稔、平岡照雄、光永洋子、和田利生、野原昭二、倉橋熊男、樋口和雄各作成の各上申書
一 山口地方法務局下関支所登記官作成の登記簿謄本六通
一 国税不服審判所長八田卯一郎作成の裁決書二通(広法四七第三六号、同第三七号)の各謄本
一 押収してある印鑑五個(昭和四六年押第五四号の1)、法人税法決議書綴一綴(同号の2)、普通預金元帳一〇枚(同号の3)、現金出納簿二冊(同号の7、8)、担保差入証四枚(同号の9)、担保品記入帳三枚(同号の10)、定期預金元帳二一枚(同号の11)、定期預金印鑑届二八枚(同号の12)、定期預金元帳一五枚(同号の13)、定期預金済証書二二枚(同号の15)、拘束解除通知書控一綴(同号の16)、名刺・雑メモ一袋(同号の17)、銀行計算書類一袋(同号の18)、総勘定元帳一冊(同号の19)、定期預金証書及びメモ一袋(同号の20)、印鑑二個(同号の21)、伝票二綴(同号の22、23)、原簿一綴(同号の24)、日計伝票六綴(同号の25ないし30)、土地売買契約書控一枚(同号の31)、手形貸付元帳六枚(同号の32)、給料支払帳二冊(同号の33、34)、入金伝票一綴(同号の35)、出金伝票二綴(同号の36、37)、入金伝票三綴(同号の38ないし40)、出金伝票一綴(同号の41)、入金伝票三綴(同号の42ないし44)、宴会予約(完)綴二冊(同号の47、48)、預金関係書類一袋(同号の50)、領収証二枚(同号の54の1、2)、借用証書一枚(同号の55)
(争点についての判断)
検察官の主張の要旨は、被告会社の昭和四二年度分の申告所得金額は三五九万三、六七八円の欠損となっているが、別表三、四の各預金は被告会社の売上除外等により形成された被告会社の簿外預金であること等が調査により判明したから、その実際所得は被告会社の公表貸借対照表(別表一の公表金額欄参照)を基として左記金額により修正のうえ算出すべきものであり、これによれば被告会社の昭和四二年度分の実際所得金額は六三二万二、二一七円で、これに対する法人税額は二〇〇万二、七七五円であり、被告人福田浩は、被告会社の業務に関し右法人税額をほ脱したものであるというのである。
記
1 過年度金額
(一) 定期預金(資産の部) 七三三万円(別表四参照)
(二) 繰越利益金(負債の部)七三三万円
前記定期預金が存するのでこれと同額を繰越利益金として計上する。
2 当期増減金額
(一) 普通預金(資産の部) 一七万二、二八一円(別表三参照)
(二) 定期預金(資産の部) 一、〇五九万六、一三〇円(別表四参照)
(三) 仮払金(資産の部) 六五万円
山平節子が昭和四二年七月二四日六五万円で買受けた山口県下関市みもすそ川町九六四-二の土地代金を被告会社は公表上同月一一日二五万円、同月二一日四〇万円いずれも土地代金として支払い、これを土地勘定に計上したが、同年一〇月一二日になってこれが立替金であったとして六五万円を受け入れこれを当座に入金し土地勘定から右六五万円をはずしている。しかしながら山平節子は右代金決済を全く関知しておらず、右当座入金の資金源は別表三の9の普通預金からの同月一三日の払戻金六五万円と考えられるので、これを被告会社の山平節子に対する仮払金として計上する。
(四) 土地(資産の部)三六五万円
被告会社は昭和四二年五月一五日飯沢清から山口県下関市みもすそ川町九六四-一七外の土地を買受け、その代金は公表上三六五万円とされているが実際には七三〇万円であったことが判明したのでその差額を計上する。
(五) 未経過利息(資産の部)三、四〇〇円
後記(八)借入金二〇〇万円に対する未経過利息を計上する。
(六) 貸付金(資産の部)七五万円
福田清が昭和四二年一一月一〇日堀川薫から一二〇万円で買受けた山口県下関市みもすそ川町九六四-一三の土地につき、福田清は代金の支払に関知せず、調査によれば、同月二二日別表三の10の普通預金から七五万円が払戻され、これが右支払の一部に充てられていることが判明したので、右七五万円を被告会社の福田清に対する貸付金として計上する。
(七) 認定利息(資産の部)二万四、二〇〇円
前記(三)仮払金六五万円及び(六)貸付金七五万円に対する認定利息(年一割とする)を計上する。
(八) 借入金(負債の部)二〇〇万円
被告会社が別表四の4の森脇靖雄名義の定期預金を担保として二〇〇万円を借入れ、これを前記(四)の土地代金の支払に充てていることが判明したので、借入金として計上する。
(九) 仮受金(負債の部)三二一万一、五七六円
別表六被告人の昭和四二年分個人収支の検察官の主張欄どおり被告人の個人収支の余剰金が三二一万一、五七六円存するところ、これが前記2の(一)(二)の各預金に入金されていると認め、これを被告人個人からの仮受金として計上する。
(一〇) 未納事業税(負債の部)七一万八、五四〇円
被告会社は下関税務署長より昭和四一年度分の所得金額を七一一万二、九七六円とする旨の更正処分を受けたのでこれに対する事業税七一万八、五四〇円を未納事業税として計上する。
(一一) 当期純損失(負債の部)三五九万三、六七八円
被告会社は当期所得につき三五九万三、六七八円の欠損とする旨の申告をしているので、右欠損金額を所得計算上損金として計上する。
(一二) 当期純利益(負債の部)六三二万二、二一七円
これに対し弁護人は、
1 検察官が被告会社の簿外預金であると主張する別表三、四の各預金は、次のとおりいずれも被告人の個人資産ないし被告人が経営する浩栄産業株式会社(以下「浩栄産業」という)等の資金により形成されたものであり、被告会社に帰属するものではなく、被告会社の申告額は適正である。
即ち、
(一) 別表三の1の仮名普通預金は浩栄産業の簿外預金であり、従って右預金を介して形成された別表四の1、2の各定期預金もまた浩栄産業に帰属するものである。
(二) 別表四の4、6の各定期預金も浩栄産業の資金により形成されたもので同産業の預金である。このことは国税当局の調査によっても明らかにされているところである。
(三) 被告人は被告会社の代表取締役であるほか、福田倉庫株式会社(以下「福田倉庫」という)の代表取締役、浩栄産業の実質的経営者、下関市会議員でもあって、他に不動産売買等による収入もあり、昭和三八年から昭和四〇年までの間の個人収入の余剰金は一、五一九万〇、一八〇円(別表五の過年度繰越余剰金欄参照)にものぼり、昭和四一年及び昭和四二年の個人収支も別表五、六の被告人らの主張欄のとおりであって、その余剰金合計三、二〇八万七、九八七円が右以外の別表三、四の各預金の資金源となっているものである。
なお、これらを被告人が仮名ないし無記名預金としたのは自己財産の保全と被告人の家族関係が複雑なため長男福田清に一連の事業を引継がせるためになしたもので、被告会社の所得をほ脱するためでないことは勿論である。
2 また本件において検察官は損益法によることなく、財産増減法により被告会社の所得を立証しようとするものであるが、被告会社は商業帳簿、伝票等はすべて完備していたのであるから、損益法で所得の計算をすることが可能であったのに、これによらず財産増減法を採用したことは違法である。
仮に財産増減法によることが許される場合であるとしても、個々の財産科目の算定についても実額によることを要し、一応の立証、蓋然性では足りないのである。にもかかわらず検察官は前記1で述べた事実を全く無視し、漫然と別表三、四の各預金が被告会社に帰属するものと主張するに過ぎない。のみならず、検察官は右各預金に被告人個人の収入金が入金されていることを認めながら、被告人の現金収支について何ら捜査しないばかりか、昭和四二年前の余剰金の主張を全く無視するのであるが、被告人個人の現金収支を確定しない限り被告会社の簿外資産も確定できないことは明らかである。
というのであって、いずれよりしても被告会社及び被告人は無罪であると主張する。
これらの点についての当裁判所の判断は前記認定のとおりであり、本件の立証が財産増減法によったことも相当であると判断するが、以下その理由を説明する。
一 本件での主たる争点は別表三、四の各預金の帰属であるところ、前掲関係各証拠及び押収してある浩栄産業の銀行勘定帳(昭和四六年押第五四号の56)、浩栄産業ほか三名共同作成の土地譲渡契約書(写)によれば、
1 被告会社はホテル経営を主たる目的として昭和四〇年一二月二日資本金五〇〇万円(但し昭和四一年四月一、〇〇〇万円に増資)で設立された会社で、昭和四一年五月中旬より営業を開始したこと
2 浩栄産業は、被告人が個人経営していた福田製作所を昭和二五年一月二七日会社組織としたもので、被告人が代表取締役であったが、下関市議会議員に当選した昭和三八年以降はこれを辞任し、長男清が代表取締役となったこと。昭和四一年、昭和四二年当時資本金は一、〇〇〇万円で、土木建築請負をその主たる営業としており、官庁よりの受注工事も多かったこと
3 福田倉庫は、昭和三六年二月八日倉庫業を主たる目的として設立された資本金一、〇〇〇万円の会社で、その代表取締役は被告人であること。その営業の約八〇パーセントは食糧庁の米の保管、約一〇パーセントは専売公社のたばこの保管で残り約一〇パーセントが一般貨物であって、その保管料収入については前二者は銀行振込であり、現金収入は一般貨物のみであること
4 被告人は、被告会社及び福田倉庫の代表取締役としてその業務全般を統括していたことは勿論、浩栄産業についてもその代表者印等は自らが保管し、手形や小切手の振出の決済を行ない、その資金繰りはもっぱら被告人が行なっていたこと、ところでこれら三社の本店所在地はそれぞれ異なるが、被告人は被告会社が営業開始後はそのホテルの一室を事務用に使用し、被告会社内において右三社の各業務にあたっていたこと
5 前記2のとおり被告人は本件当時下関市議会議員であったこと
6 別表三のとおりの仮名普通預金が存すること
7 別表四の当裁判所の認定欄どおり仮名ないし無記名定期預金がなされていること
8 右各預金はいずれも被告会社の売上金の当座預金への入金とは別途にその資金源を明示しないままなされたものであるが、その多くは、被告会社において、被告人が直接あるいは同会社の経理担当事務員の松岡倫子を介し、現金を銀行員に手渡す方法により形成されたものであること
9 別表四の当裁判所の認定欄どおり、預金の一部は被告会社の債務の担保に供されていること
10 被告人は、被告会社の経営に並々ならぬ意欲を示し、営業開始早々よりホテルの拡張を企図し、その資金手当に奔走していたこと
11 被告会社は山口相互銀行から一億円余りの貸付を受けたが、その見返りとして同銀行が被告人に預金の増加を強く求め、これに応ずる形で別表三、四中の山口相互銀行への預金はなされたものであること
が認められるが、これらのみによっては、検察官主張の前記各預金が被告人個人、被告会社、浩栄産業及び福田倉庫のいずれかに帰属するものとは言いえても、これが被告会社に帰属すると認定するにはいまだ十分ではない。
二 そこで前記各預金の帰属を確定するためその預金態様等を更に検討することとする。
別表三の各仮名普通預金につき検討するに、冨田邦保作成の証明書、道本春人作成の山陽ホテル裏預金についての調査報告書(検察官請求番号二〇五)、押収してある法人税決議書綴一綴(昭和四六年押第五四号の2)、普通預金元帳一〇枚(同号の3)等の前掲関係各証拠及び浩栄産業作成の金一六七万円の領収書(写)によれば
1 別表三の1の普通預金口座の預入・払戻状況は別表七のとおりであり、口座の設定が被告会社設立前の昭和四〇年六月四日であるうえ、昭和四一年五月一六日には浩栄産業が原田忠雄に売却した土地の代金一六七万円が、同月一七日には浩栄産業が坂井家具にあてて振出した五万円の小切手がそれぞれ預け入れられていること
2 しかし、別表七で明らかなとおり被告会社が営業を開始して約二か月経過した同年七月二一日以降の富田名義の預金の預け入れ状況は右以前と全く異なり、同年九月一四日までのわずか二か月弱の間に四万円ないし三二万円の金員が一五回(昭和四一年八月二九日は二回にわたって預け入れがなされているが同日のことであるので一回として計算する)にも亘り間断なく預け入れられ、その合計額は二三五万二、六六二円にものぼっており、平均すると週に二回近くも預け入れがなされ、その額も一回あたり平均して一五万六、八四四円、一日あたりに平均すると四万二、〇一一円となること
3 右昭和四一年七月二一日以降とほぼ同様の預け入れ状況は、別表八のとおり右解約(同年九月一九日)以後に設定された別表三の2、5ないし11の各普通預金に引継がれており、結局昭和四一年七月二一日以降昭和四二年一二月末までほぼ途切れることなく前記同様の預け入れがなされており、かつその預け入れのほとんどは現金によるものであること
が認められるのであって、その預金態様でみる限り、昭和四一年七月二一日前の別表三の1の普通預金は浩栄産業の資産により形成されたものとしても、同日以降の右預金への預け入れ及びその後の別表三の2、5ないし11の各普通預金においてなされた同様の継続的な預け入れが、現金商売ではなく、前記一で認定の業態の浩栄産業や福田倉庫の資産によってなされたものとは考えにくく、そのころ山口相互銀行の被告会社担当の得意先係りを昭和四二年七月ごろから受持った行員樋口和雄が、「裏預金について知っておきたいと考えて、メモ書を持ち、完璧なものにするために、被告人に見せたら、こんなことをするといけない、ということで目の前で裂いた覚えがあります」「国税局が査察に来た時に、被告人から絶対に言ってくれるな、生命をかけておるんだといわれたので、私としてはかなり厳しく受取りました」(第五回ないし第七回公判調書中の証人樋口和雄の供述部分)と証言していること等を併わせ考えるとき、被告会社の売上除外等により形成された疑いが極めて強いといわなければならない。
4 右のうち、別表三の2、5、10、11の各預金中には、被告会社の売上と認められる小切手が預け入れられていること(第四回公判調書中の証人植田松廣の供述部分、片山稔、平岡照雄、光永洋子各作成の上申書、北村寛治作成の証明書、押収してある法人税決議書綴一綴((昭和四六年押第五四号の2)))
5 時期及び金額等は具体的に明らかでないものの、被告会社の経理担当事務員松岡倫子において、被告人の指示により、一部その売上を帳簿に記入することなく被告人に手渡したことや、野原写真館のリベートを帳簿に記入することなく被告人に渡したことがあること、ビヤガーデンに関してはその売上金とレジペーパー等が翌日に経理の右松岡にまわってくるものの現金額とレジペーパーの額とは一致せず、松岡においてもレジペーパーと現金額との照合をほとんどしていないばかりか、ときにはビヤガーデンの売上が三、四日分まとめて松岡にまわされたりすることもあったこと、更には被告会社の現金出納簿の残高は毎日締められていないばかりか時にはその売上を二、三日分まとめて計上しているなど被告会社は現金商売であるにかかわらず現金管理が極めて杜撰であったこと(第一七ないし第一九回、第二一回公判調書中の証人松岡倫子の供述部分、同人の検察官に対する昭和四五年二月一五日付、同月一八日付((二通))、同月一九日付、同月二〇日付((二通))各供述調書、押収してある現金出納簿二冊((昭和四六年押第五四号の7、8)))
が認められるところであり、一方別表三の2、5ないし11の各預金が浩栄産業あるいは福田倉庫の資産により形成されたとの疑いを生じさせるような証拠はない。
また、弁護人は前記各普通預金が被告人の個人資産により形成されたものであると主張するところ、それによれば、昭和三八年から昭和四〇年までの間の余剰金が一、五一九万〇、一八〇円にも達するのであるが既にそれだけの余剰金の蓄積があるにかかわらず前認定のような普通預金口座に小刻みに預け入れ、更にこれが一定金額に達した時点で定期預金とするといった預け入れがなされること自体極めて不自然であるばかりか、その主張自体も被告人個人の収支計算上余剰金が存在するというにとどまって具体的にどのような資産形態でこれが存在したか明らかでないし、この点被告人の供述(第四七回公判調書中など)中には仮名預金や不動産として保有していたとの部分があるものの全然具体性を欠きあいまいな供述に終始していて到底措信しうるものではなく、他に弁護人主張のような一、五〇〇万円を起える程の余剰金が昭和四一年前に実際に存していたことをうかがわせる証拠もない。かえって被告人は昭和四一年、昭和四二年の両年ともに借金をしていることが認められるのであって、このことからしても一、五〇〇万円を超す程の被告人個人の余剰金が昭和四一年前に存していたとの弁護人の主張は到底採用し得ないところである。
ただ、そうとしても前記各預金が形成された昭和四一年及び昭和四二年の被告人個人の収入の一部がこれに混入していた可能性を全く否定することはできないし、検察官もまた昭和四二年分についてはこれを認める(昭和四一年分については検察官はこれを認めていないが、昭和四二年分と別異に扱うべき事情は見出せない)ところであるから、その帰属を最終決定するには、右の点につき更に詳細な検討を要するところである。
これと異なって、別表三の3、4の各普通預金はいずれも預け入れは一回だけにとどまりその額も六五万円と多額で、前記2、3で認定の昭和四一年七月二一日以降の別表三の1の預金及び同表の2、5ないし11の各預金への預け入れとは様相を異にしており、その預け入れ状況自体からは、これを直ちに被告会社の売上げ除外等によるものと推定することはできず、他にこれを認めるに足る証拠もないし、これらが浩栄産業に帰属する可能性も完全には否定できない。
三 次に別表四の各仮名ないし無記名定期預金の帰属につき検討する。
1 別表四の1の定期預金は前記認定のとおり別表三の1の普通預金中浩栄産業に帰属すると思料される昭和四一年七月二一日前の預け入れ金(その残高は一二七万一、八六七円)及び同日以降同年八月一九日までの間の預け入れ金合計一一〇万〇、六六二円を基礎として形成されたものであり、別表四の13の定期預金は別表四の1の定期預金の元利金を一年後の昭和四二年九月五日浩栄産業名義の二一〇万四、六〇〇円の定期預金と一〇四万五、四七六円の無記名定期預金(これが別表四の13の預金)に分割することにより形成されたものである。これらの経過に照らせば別表四の1の定期預金中の少くとも一〇〇万円及び別表四の13の定期預金は、別表三の1の普通預金中の昭和四一年七月二一日以降の預け入れ金と同様に考えることができ、被告会社の売上除外等によって形成された可能性が強いと言える。
2 別表四の2の定期預金も前記認定のとおり別表三の1の普通預金を基礎に形成されたものであるが、これに関しては別表三の1の普通預金の昭和四一年八月二〇日以降の預け入れ金がその基礎となっているものであるから、その全額につき別表三の1の普通預金中昭和四一年七月二一日以降の預け入れ金と同様に考えることができ、被告会社の売上除外等によって形成された可能性が強いと言える。
3 別表四の3の定期預金については、これの形成の基礎となった別表三の3、4の普通預金が被告会社の資金により形成されたと認めるには至らず、浩栄産業の資金による可能性をも否定できないこと前記認定のとおりであり、別表四の3の定期預金の帰属についても同様に考えられる。右定期預金が被告会社に帰属するとは認められない。
4 別表四の4、6の各定期預金については、いずれもその大半が浩栄産業の資金により形成されたものであることが明らかであり、他にこれが被告会社の預金であることを裏付ける証拠はない、右各定期預金が被告会社に帰属するとは認められない。
5 別表四の5の定期預金は普通預金を介さずに形成されたものであるが、その金額は前記認定の別表三の1の普通預金の昭和四一年七月二一日以降及び別表三の2、5ないし11の普通預金の一回の預け入れ額に相応する金額であり、これが浩栄産業ないし福田倉庫の資産により形成されたとうかがわせる証拠もないから、被告会社の売上除外等により形成された可能性は高いといえる。ただこれについても被告人の個人資産により形成されたものであることの可能性は右各普通預金についてと同様否定できない。
6 別表四の7ないし9、11、12、14、15、17の各定期預金は、前記認定のとおりそれぞれ別表三の5、7ないし11の各普通預金の預け入れ金を基礎として形成されたものであるから、その帰属についても右各普通預金と同様に考えることができる。
7 別表四の10の定期預金は普通預金を介さず形成されたものである。時期的には仮名普通預金口座への預け入れが途切れていた際ではあるものの、その金額は一〇〇万円と大きくそれ自体からは被告会社の売上除外等による資金とは直ちに認定し得ず、その金額の大きさからは浩栄産業の資金である可能性も否定し得ないところであり、他にその帰属を確定的に認定するに足る証拠も存しない。
8 別表四の16の定期預金は、同表の3の定期預金の元利金一八九万九、〇〇〇円に別表三の10の普通預金からの払戻金を加えて形成されたものであるところ、別表四の3の預金が被告会社の資金により形成されたとは認定し得ないこと前記のとおりであるから、これを控除した五〇万一、〇〇〇円についてのみ別表三の10の普通預金同様被告会社の資金により形成されたとの可能性が存するところである。
9 別表四の18の定期預金については、前認定のとおり、被告人が出所不明のバラ銭を持参して形成されたものであり、金額的にも五〇万円にとどまっていることに照らし、被告会社の売上除外等により形成されたと考えられないではないが、他方その目的は浩栄産業が供していた担保物件の一部を売却のため担保解除するに際しての代わり担保とするためであって、浩栄産業の資金によって形成された可能性も否定できず、他にその帰属を確定的に認定するに足る証拠も存しない。
10 別表四の19の定期預金については前認定のとおり昭和四五年に被告人名義に変更されているところであり、被告人の個人資産により形成されたと認めるのが相当である。
四 以上によって明らかなとおり、検察官主張の別表三、四の各預金中、別表三については1のうち昭和四一年七月二一日以降の預入金、2、5ないし11の各預金が、別表四については1のうちの一〇〇万円、2、5、7ないし9、11ないし15、16のうち五〇万一、〇〇〇円、17の各預金がいずれも被告会社の売上除外等によって形成されたものと強く推定され、従って過年度(昭和四一年度)分としては、別表四の各定期預金中1のうちの一〇〇万円、2の一二〇万円、5の三三万円合計二五三万円が、当期(昭和四二年度)増減分としては、別表三の各普通預金中5、10、11の昭和四二年一二月三一日現在の残高合計一七万二、二八一円並びに別表四の各定期預金中2の増加(利息)分六万〇、六五四円、7ないし9、11、12、13のうちの四万五、四七六円、14、15、16のうちの五〇万一、〇〇〇円及び17の合計七四七万七、一三〇円が、被告会社に帰属するものと強く推定されるのであるが、一方においてこれら各預金中に被告人の個人資産が混入している可能性を否定できないこと前記のとおりである。
ところで、この点に関し、昭和四一年及び昭和四二年における被告人の個人収支は別表五、六の当裁判所の認定欄及び後記補足説明のとおりであり、過年度分定期預金合計二五三万円については、これを全額被告人個人の収入金によって形成されたとみてもなお七〇万五、六八七円の余剰金を生ずることとなり、結局これを被告会社の簿外預金と認定することはできないと言わなければならない。従って又別表四の2の預金中の昭和四二年の増加(利息)分六万〇、六五四円及び同表の13の預金についてもこれを被告会社の簿外預金と認定することはできない。
しかし、昭和四二年分に関しては被告人の個人収支の余剰金が二七七万五、〇〇七円であるのに対し、右預金額は普通預金(別表三の5、10、11)合計一七万二、二八一円、定期預金(別表四の7ないし9、11、12、14、15、16のうちの五〇万一、〇〇〇円、17)合計七三七万一、〇〇〇円と右余剰金を大きく超えて存するところであり、前記認定経過に照らしてもこれら預金が被告会社に帰属すると認定し、これに混入している可能性のある右余剰金については、これを仮受金と認めるのが相当である。
以上の次第で、検察官主張の過年度金額の定期預金(資産の部)七三三万円、繰越利益金(負債の部) 七三三万円は認められず、当期増減金額の普通預金(資産の部)一七万二、二八一円はこれを認め、定期預金(資産の部)は七三七万一、〇〇〇円、仮受金(負債の部)は二七七万五、〇〇七円の限度でこれを認める。
なお、昭和四一年及び昭和四二年の被告人の個人収支の認定につき補足して説明する。
1 昭和四一年の個人収支について
(一) 過年分繰越余剰金
弁護人主張の一、五一九万〇、一八〇円といった過大な余剰金の存在を認め得ないことは前記二で述べたとおりである。
(二) 門馬佐久への不動産売却
第三二回公判調書中の証人門馬佐久の供述部分、同人の大蔵事務官に対する質問顛末書二通、第四七回公判調書中の被告人の供述部分、国税不服審判所長八田卯一郎作成の裁決書二通(広法四七第三六号及び同第三七号)の各謄本、押収してある浩栄産業作成名義の額面五〇万円の領収書二通(昭和四六年押第五四号の54の1、2)、押収してある被告人作成名義の借用証書一通(同号の55)を総合すると、昭和三九年秋ころ、山口県下関市前田二丁目一二〇の三所在の土地建物(三戸)を被告人が門馬佐久に代金二〇〇万円で売渡す旨の契約を(口頭で)なし、その代金支払いについては、被告人の同人からの借入金五〇万円をその内入れ弁済に充当することとし、その後分割払により昭和四〇年に五〇万円、昭和四一年に五〇万円、昭和四二年に三〇万円が各支払われ、残余の二〇万円については株券(福田倉庫)により代物弁済されたことが認められる。
よって、昭和四一年分の被告人の収入として五〇万円を認める。
(三) 三菱セメント及び原田忠雄への各不動産売却
前認定(別表四の4の当裁判所の認定欄、前記三の4)並びに佐々木某、坂口某共同作成の調査事績報告書、浩栄産業代表取締役福田清外三名共同作成の土地譲渡契約書の写、第四七回、第四九回、第五二回公判調書中の被告人の供述部分、当公判廷(第五三回公判)における被告人の供述を総合すれば、浩栄産業、原田忠雄、浅尾久子の三名が三菱セメントに下関市大字楠乃の土地を代金一、三〇〇万円で売却し、その代金は昭和四一年一二月一七日ころ二〇〇万円が、同月三〇日ころ五〇〇万円が、昭和四二年八月三〇日ころ六〇〇万円が各支払われ、右二〇〇万円は昭和四一年一二月二三日別表四の4の定期預金に、右五〇〇万円は昭和四二年一月六日浩栄産業の当座預金に各入金されたことが認められる。ところで被告人は、右代金の中から昭和四一年一二月二三日ころ二〇〇万円を、昭和四二年八月三〇日ころ一〇〇万円をいずれも仲介料として貰い受けた旨供述する(前記各公判調書)のであるが、国税不服審判所長作成の裁決書の謄本二通(広法四七第三六号、第三七号)によれば、審査請求の過程では仲介料については何ら主張されておらず(二〇〇万円について被告人個人が三菱セメントに売却した土地の代金である旨主張するのみで、その余については何らの主張もなされていない)、しかも仲介料をとったと言いながら売主からその了解を得ていない(第四七回公判調書中の被告人の供述部分)など仲介料に関する前記被告人の供述部分は措信できず、これを認めることはできないし、右売却代金が浩栄産業の収入であって被告人の収入とは認められないことも明らかである。
次に、原田忠雄への不動産売却については、前記二の1で認定のとおり売主は被告人ではなく浩栄産業であることが明らかであり、これも又被告人の収入とは認められない。
(四) 岡田健作からの借入金
第一五回公判調書中の証人岡田健作の供述部分、第四七回、第四九回各公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官(昭和四五年三月七日付、同年七月一〇日付)に対する供述調書及び国税不服審判所長八田卯一郎作成の裁決書(広法四七第三六号)の謄本により、岡田健作からの借入金一二〇万円を認める。
(五) 門馬佐久からの交通事故礼金
第三二回公判調書中の証人門馬佐久の供述部分、第四七回、第四九回公判調書中の被告人の供述部分には弁護人の主張にそう部分があるが、他方、門馬佐久の大蔵事務官に対する質問顛末書二通中にはその存在をうかがわせるものさえないばかりか、被告人らにおいても国税不服審判所に対する審査請求の過程で右について全く主張しておらず、他に証拠も存しないことに照らし、右各供述部分は措信し難く、認められない。
(六) 市会議員出張日当等
第四七回、第四九回各公判調書中の被告人の供述部分中その主張にそう部分は具体性を欠くのみならず、かかる入金はそれ相応の経費として支出され余剰を残さないのが一般であり、それ故前記審査請求に際しても全く主張していないものとも思料されるから、右供述部分は措信し難く、認められない。
(七) 浩栄産業機密手当
第三三回及び第三五回公判調書中の証人福田清の供述部分、同人の検察官に対する供述調書、第四七ないし第四九回各公判調書中の被告人の供述部分及び被告人の検察官に対する昭和四五年三月七日付供述調書中には、浩栄産業から毎月五万円程被告人が支払を受けていたし、他にも工事落成の際には祝儀をもらっていたとの部分があり、弁護人提出にかかる出金伝票二五通が右毎月五万円の支払を示すものというのであるが、右出金伝票自体からは直ちに被告人に支払われたことはうかがえないばかりか金額的にも毎月五万円の支払いを受けていたとの前記各供述部分と右伝票による出金額とは符合しないし、被告人が昭和四一年度分の所得税申告に際して右収入の申告をしていたこともうかがえない。これを認めることはできない。
(八) 門馬佐久への株券売却
第四七回公判調書中の被告人の供述部分には、これにそう部分があるが、具体性を欠き措信できず、かえって門馬佐久の昭和四三年三月二七日付大蔵事務官に対する質問顛末書によれば、同人は被告人所有の株券の譲渡をうけたのではなく、福田倉庫に出資することにより株式を取得したものと認められる。被告人の収入とは認められない。
(九) 福田ミチ子給与
被告人の次女の福田倉庫からの右給与の一部を被告人の個人収入としていた旨の第四七回、第四九回各公判調書中の被告人の供述部分は他にこれをうかがわせる証拠もなく、にわかに措信し難い。被告人の収入とは認められない。
(一〇) 福田倉庫仮受・雑費
右が存在した旨の第四七回、第四九回各公判調書中の被告人の供述部分は他にその存在をうかがわせる証拠もなく、にわかに措信し難い。被告人の主張は認められない。
(一一) 柏木新市よりの借入金
第三〇回公判調書中の証人柏木新市の供述部分及び第四七回、第四九回公判調書中の被告人の供述部分には、昭和四一年に三回にわたって合計一五〇万円を、昭和四二年に五〇万円をそれぞれ被告人に貸し渡した旨の部分があるものの、他方右証人は検察官の反対尋問に対し、借用証はもらったが現在は持っていない、また右貸金について所得税の申告はしていないと供述していること、被告人も、国税不服審判所に対する審査請求においては、右借入金について何ら主張していないことに照らし、客観性を欠いていて措信できず、認められない。
(一二) 家賃収入
福田スエノの大蔵事務官に対する質問顛末書及び検察官に対する供述調書によれば、家賃収入はいずれも福田スエノの収入と認められる。被告人の収入とは認められない。
(一三) 山口相互銀行定期預金
前記四のとおり別表四の定期預金中1のうちの一〇〇万円、2及び5の合計二五三万円については、これらが被告人個人の昭和四一年中の収入金によって形成された可能性を否定できないところであるから、右金額を支出金として計上する。
2 昭和四二年の個人収支について
(一) 過年分繰越余剰金
前認定のとおり昭和四一年の被告人の個人収入金が、別表四の1のうちの一〇〇万円、同表の2、及び同表の5の合計二五三万円の預金に入金されたとしても、なお七〇万五、六八七円の余剰金が存するところ、この程度の金額であれば、現金のままこれが保有され昭和四二年に発生した別表三、四の預金に混入した可能性は否定できないところであるから、これを繰越余剰金と認める。
(二) 選挙資金寄附
道本春人作成の昭和四四年七月二五日付調査事績報告書、国税不服審判所長八田卯一郎作成の裁決書(広法四七第三七号)の謄本によりこれを認める。
(三) 門馬佐久土地売却礼金
第三二回公判調書中の証人門馬佐久の供述部分、第四七回、第四九回各公判調書中の被告人の供述部分には右にそう部分があるものの、売却代金二〇〇万円の取引に対し礼金六〇万円は高額に過ぎることや、門馬佐久の大蔵事務官に対する質問顛末書二通中からは右礼金が支払われた事実がうかがえないことに照らし、右各供述部分は措信できず、これを認めることはできない。
(四) 門馬佐久香港旅行みやげ
第三二回公判調書中の門馬佐久の供述部分、第四七回、第四九回各公判調書中の被告人の供述部分中には、被告人らの主張にそう部分があるものの他に右収入の存在をうかがわせる証拠はなく、客観性を欠いていて到底措信できず、認めることはできない。
(五) 浩栄産業機密手当、三菱セメントへの不動産売却、市会議員出張日当等、柏木新市借入金、家賃収入これらが認められないことは昭和四一年分と同様である。
(六) 山平節子立替金
第四七回公判調書中の被告人の供述部分、山平邦夫の検察官に対する供述調書、山平節子、山平邦夫の大蔵事務官に対する各質問顛末書、倉橋熊男作成の上申書、登記官作成の登記簿謄本二通(下関市みもすそ川町九六四番二及び同市同町九六四番七二の土地に関する分)、押収してある仕訳帳二綴(昭和四六年押第五四号の22、23)、普通預金元帳一〇枚(同号の3)によれば、山平節子が買入れた下関市みもすそ川町九六四番二の土地代金六五万円、同町九六四番七二の土地代金一〇万円の合計七五万円を被告人において立替えていることが認められる。
なお検察官は右のうち六五万円につき、被告会社が土地代金として昭和四二年七月一一日二五万円、同月二一日四〇万円支払い土地勘定に計上したが、同年一〇月一二日になって右が立替金であったとして六五万円を受け入れ当座預金に入金し、土地勘定から六五万円をはずしているものの、右当座入金は、被告会社の仮名名義預金である別表三の9の普通預金の同年一〇月一三日の払戻金六五万円がその資金源であり、被告人個人の立替えではなく、被告会社の仮払金として処理すべき旨主張するが、右のとおり当座への入金は同年一〇月一二日であり、別表三の9の預金の払戻は翌一三日であるから、後者を前者の資金とみることはできない。前掲調書中で被告人が述べるとおり、被告人個人の立替えと認めるのが相当である。
(七) 弁護士費用
被告人の検察官に対する昭和四五年九月一八日付供述調書、国税不服審判所長八田卯一郎作成の裁決書(広法四七第三七号)の謄本によってこれを認める。
(八) 別表四の19の無記名定期預金
右預金が被告人個人に帰属すると認められることは前認定のとおりであるから、これを被告人の支出として計上する。
五 その余の検察官が修正すべき旨主張する勘定科目中、土地、未経過利息、貸付金、借入金、当期純損失の各勘定科目については前掲関係各証拠により、検察官の主張が認められるが、認定利息はこれを認めず、未納事業税については、国税不服審判所長作成の裁決書二通(広法四七第三六号、第三七号)の各謄本で明らかなとおり、裁決により原処分の一部が取消され、被告会社の昭和四一年度の所得金額は三二〇万七、二八九円と認定されているので、右裁決後の所得金額に対する事業税額二四万九、八六〇円を未納事業税と認める。なお仮払金六五万円が認められないことは前記四の2の(六)で認定のとおりである。
六 最後に本件の立証が財産増減法によったことにつき検討する。
法人税法は所得金額の計算につき、同法二二条において損益法計算原理を採用していると解されるが、一方会計記録が不備なため損益法によることができない場合に、損益法によって算出されたならば得られたところの所得を財産増減法により算定することも法人税法の趣旨に反するものでなく(同法一三一条参照)法の許容するところと解される。もっとも、その所得の立証は刑事裁判の本質上、民事裁判におけるような一応の立証で足る単なる推計は許されず、個々の財産項目の算定も実額によることを要することは当然である(但し、このことは個々の財産項目の立証につき直接証拠がない場合に間接証拠によりこれを推認することを妨げるものでないことは勿論である)。
これを本件についてみるに、前認定のとおり、被告人は被告会社の売上除外等をし、かつこれに関するメモ等を作成することなく、簿外預金としていたもので、損益法によっては所得金額を正確に算定し得ない場合と認定でき、このため、被告会社の公表貸借対照表を基に被告会社に帰属すると認められる右簿外預金などの個々の財産項目につき実額により確定的に把握し、なお右簿外預金中に混入した可能性のある個人の収入金についてはこれを仮受金として処理し財産増減法によりその所得金額を算定したものであるが、これによれば、それが損益法によって算出した所得金額と一致するか少くともそれ以上ではないものと認められるところであるから、当然許容される算定方法というべく、この点の弁護人の主張は採用し得ない。
(法令の適用)
判示所為は被告会社の関係では法人税法一六四条一項、一五九条一項(七四条一項二号)に、被告人福田浩の関係では同法一五九条一項(七四条一項二号)に該当するところ、被告会社の関係ではその所定金額の範囲内で同会社を罰金二五万円に処し(求刑罰金六〇万円)、被告人福田浩の関係では所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で同被告人を罰金七万円に処し(求刑懲役四月)、右の罰金を完納できないときは刑法一八条により金二、〇〇〇円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文、一八二条により、その三分の一を被告会社及び被告人福田浩に連帯して負担させることとする。
(量刑の事情)
判示認定のとおり、被告人福田浩は被告会社の当該事業年度の所得金額三三二万八、一三六円が存したのに、欠損の申告をなし、右所得に対する法人税額八五万九、二〇〇円を免れたもので、そのほ脱率は一〇〇パーセントであり、かつその動機も被告会社の営業拡張資金等を得るためであって特段酌量すべき点は存しない。
しかしながら、一方では、その認定し得たほ脱税額は起訴にかかる金額の半額以下となっており、脱税の規模がさほど大きくはないこと前記ほ脱税額については既に納付ずみであることなどの事情も存するところであり、これらを総合考慮すれば、本件が、被告人福田浩に対し懲役刑をもって対処しなければならない事案とまでは考えられないので、被告人福田浩に対しては罰金刑を選択することとし、被告会社及び被告人福田浩に対し前記のとおり量定した。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中村行雄 裁判官 小田泰機 裁判官 上田昭典)
別表一
修正貸借対照表
昭和42年12月31日現在
<省略>
別表二
税額計算書
自昭和42年1月1日
至昭和42年12月31日
<省略>
別表三
仮名普通預金一覧表
<省略>
別表四
仮名ないし無記名定期預金一覧表
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
<省略>
別表五
被告人の昭和41年分個人収支
昭和41年1月1日~昭和41年12月31日
<省略>
別表六
被告人の昭和42年分個人収支
昭和42年1月1日~昭和42年12月31日
<省略>
別表七
富田優子名義の仮名普通預金(別表三の1)預け入れ・払戻状況
<省略>
別表八
別表三の2,5ないし11の預金の預け入れ状況一覧表
<省略>
(注)(一) 2回以上の預け入れがなされている場合でもそれが同日中になされている場合には預け入れ回数は1回として計算している。
(二) 一日あたり平均預け入れ額は預け入れ金額総計を預け入れ期間の日数で除して算出した金額である。